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「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第六話 そして僕は途方に暮れる

「ちょっと散歩でもしてこよう」
 目が覚めると夜中の3時。日の出を見ようと思っていたものの、それにしてもまだ時間があるので夜のモンサラーシュを散策することにしました。
 外にでると昼間のあたたかな空気が嘘のようにそれまでどこに隠れていたのか冷たい風が石畳の上を駆け抜けていきます。さすがにTシャツではいられません。石段に座るおじいちゃんの姿もなく人の気配すらしないものの、鳥たちの声は昼間と同じように響いていました。オレンジ色の街灯がやさしく照らす白い壁やぼんやり浮かびあがる教会や時計台。昼間散々撮影していてもレンズを向けずにはいられません。
 村の中もさることながら外からの眺めも素晴らしく、村全体をあたためるように城壁がライトアップされ、山の上がオレンジ色に輝いています。ヨーロッパの人たちに共通していることのひとつは光の使い方が上手なことでしょう。古い建物を建て替えず光をあてることでさらなる魅力を引き出す。あてるというよりやさしく包みこんだ光は、商業的なものとは違い、見る者の心をも包み込むようです。冷たい風の中で温もりを感じる、そんなロマンティックな世界に浸りながら一時間ほど辺りを散策してきた僕を待っていたのは厳しい現実でした。
「え、うそ…」
体が一瞬にして固まりました。
「鍵を開けるときはね、ここに手をいれて…」
 と笑顔で僕に玄関の開け方を説明してくれたのは昼のこと。自動に鍵がかかる扉を外から開けるために手をいれる小窓がまったく動きません。さすがにこの時間は閉めてしまうのでしょう。そのことに気付かず外に出てしまった僕は、玄関のベルを鳴らして熟睡中の彼女を叩き起こし眠そうな表情でここまで来てもらわない限りこの中にはいることができません。時計をみるとまだ4時。朝食が8時だから起きるのは6時半としてもあと2時間半。村をどんなにゆっくりまわっても30分。しかもこういうときに限ってオーディオプレイヤーを持っていません。突如うまれたこの空白の時間をどう過ごしたらいいのか。相変わらず冷たい風が通り抜けていきます。凍死とはいかないまでも常に風邪気味の僕にとって発熱の条件としては充分。でも彼女に迷惑を掛けたくない。こうして僕は、途方に暮れるinポルトガルを実現することになります。海外に行くと必ずこうです。もはや名人芸の域かもしれません。夜が明けるのを待っていたら途方に暮れてしまった、頭の中で勝手に言語化される状況に若干の苛立ちをおぼえながら歩いている僕の目にあるものが飛び込んできました。
「これはいいかもしれない」
 石段に埋もれる照明でした。城壁を照らすオレンジ色がものすごく暖かそうに見えます。光に吸い込まれるように近づいた僕は両手をかざすとかじかんだ部分が徐々に解凍されそこから熱が全身に浸み込んでいきました。
「助かった…」
 この照明を暖房器具として利用したのは世界でたったひとりかもしれません。まるで電気ストーブにかじりつくように照明に密着させる僕の影が村を襲う巨人のように城壁に投影されています。しかし、こうして暖はとれたものの、あと2時間この体勢でずっといるのかと思うと気が重くなります。照明に集まった小さな虫たちが気にならないわけありません。彼らにとっても大事な照明です。まだまだ夜は長そうだなと深いため息をもらしたとき、背後に気配を感じました。
「あ・・・」
猫でした。一匹の猫がまるで僕にどうしたのとでも話しかけるようにこちらを見ています。
「どした?」
 手を伸ばすと怖がって逃げてしまいました。でも遠くにはいかず、少し離れたところで見ています。もしかしたらあの猫もここで温まろうとしているのかもしれない、そう思ってその場を離れてみると、猫は様子を窺いながらゆっくりと照明のほうにやってきてその真ん前でちょこんと腰を地面につけました。オレンジ色の光を全身で浴びています。暖房として利用していたのはもしかすると僕が最初じゃなかったのかもしれません。
「大丈夫、なにもしないからね」
 あまりに愛くるしいその姿にじっとしていられません。普段から近所のノラ猫に対してエサをあげずに仲良くなる訓練をしていた僕は、なにもない手のひらを広げて全力で善人であることをアピールしながらそっと猫との距離を縮めようとしました。いつも寸前まではいけるもののあと少しのところで逃げられてしまうので大きな期待はしませんでした。しかし。
「え?」
 僕の指が彼女の体に触れていました。普段の訓練が功を奏したのか、最初は体をビクっとさせたものの逃げ出そうとせず、足元で体を擦り付けては僕の言葉に返事をするように声もだします。
「そうかそうか、寒かったか」
 城壁のスクリーンには「老人と海」ならぬ「青年と猫」が上映されていました。ずっと課題だった食べものを与えずに仲良くなることをまさか異国の地ポルトガルの田舎で達成できるとは。それからというもの、僕が歩くと猫もついてくるようになりました。なにもしなくても僕のあとを追ってきます。僕がとまれば猫もとまる、僕が歩けば猫も歩く。まるで犬の散歩のように石畳の上を一緒に歩いていました。今日はじめて会ったふたりとは思えません。教会の前の広場の石段に腰掛けると彼女は勝手にごろんごろんと仰向けになって遊んでいます。夢を見ているのでしょうか。いつのまにか紺色が水で薄められるように真っ暗だった空が青みを帯びてきました。
「じゃぁね」
 結局2時間くらい遊んでいたのでしょう。6時を過ぎたのでもう大丈夫かとベルをちょんと鳴らすとすぐにホテルの人はでてきてくれました。おそらく寝起きな彼女はとくべつ迷惑そうな顔はせず部屋に戻っていきます。玄関の前でちょこんと座る猫をこのまま部屋に連れていきたい気持ちをおさえ、ゆっくり扉を閉めました。この小さな村ならまた会えるかもしれません。そうしてモンサラーシュに朝が訪れました。

 
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