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「地球は生きている3〜呼吸〜」

 「なんだかよくわからないなぁ...」
 ツアーガイドのおばちゃんの英語は、50人ほどの外国人に混じるひとりの日本人のためにわざわざゆっくり話すはずもなく、完全にネイティヴな話し方で解説をしていくものだから、最初のうちは頑張って知ってる単語を拾っていたものの、なかなか追いつかず、すぐに落伍してしまいました。しかも、ツアーガイドのジョークでみんなが笑ったりすると一層孤独感を味わうので、僕はガイドを聞くのを諦め、音楽に身を委ねることにしました。
 そのバスの向かう先は、おそらくアイスランドに来た人は必ず訪れるといっても過言ではない、ゴールデンサークルです。そこにはアイスランド特有の自然や歴史的な見所が集中しているので、それらのポイントを結び、ゴールデンサークルと呼んでいるのです。レイキャヴィクから日帰りで回れるので、とりあえずここはツアーに乗っかっておこうと、ネットで予約しておいたのです。
 レイキャヴィクの街中でこそ見かけた建物も、市内を離れるとすぐになくなり、それに代わるようにダイナミックな山が次々と現れ、あっというまに観光バスは大自然の中にすっぽりと覆われていました。霧がかった山々はとても神秘的で、日本のように木々がなく、ごつごつとした荒々しい山肌が迫ってくると、その迫力に圧倒されます。そうかと思うと、5分に一度くらいで車窓に登場する放牧された馬や羊たちが、気持ちを和ませてくれます。僕は巨大なPVを楽しむように、音楽を聴きながら窓の外を眺めていました。
  延々と続く荒々しい山肌は、普段アスファルトの上で生活している僕からしたら、まるで地球の素肌、すっぴんの地球を見ているようでした。フィンランドの大自然は、森と湖で「美」という言葉が合います。日本の自然もどちらかというと「美」のほうでしょう。それに対し、そこにある自然は「荒」。なんのコーティングもしていない、荒々しい自然の姿が目の前に現れてくるのです。その景観に感動するとともに、自然の脅威を感じずにはいられませんでした。
 「なに、どしたの?」
 バスが停車すると、みんな降りる準備をはじめました。慌ててオーディオプレイヤーをしまった僕は、どこに着いたのかわからないまま、バスを降りて人の流れについていくと、ゴォーという地響きのような音が聞こえてきました。見ると下から白い霧のようなものがものすごい勢いで噴き上がっています。
 「これは、やばいかもしれない!」
 そこに吸い寄せられるように雨の中走って近づくと、予想を遥かに超えた景観が待っていました。
 「これは...」
 高さ30メートル以上の滝、と数字で表してもぴんとこないでしょうが、直角に降下する海とでもいいましょうか。かつて地球が丸くないと思われていたときの海の果てのようなものが目の前に広がっていました。これ大丈夫なの、と心配になるほどたいした柵もないので、いつでも飛び込んで我が身をささげることもできる状態です。それでなくとも、見ているだけで吸い込まれそうになります。吸い込まれそうにもなるし、近寄りがたい力を感じるのです。どこか人間が近づけない、神の領域といった印象さえ受けるのです。思い切ってぎりぎりのところに立とうとすると、久しぶりに「足がすくむ」感じを覚えました。霧雨と滝のしぶきが舞っている中にいると、なんだか全身が浄化されるような気分になりました。
 「ちょっと撮りすぎたな...」
 使い捨てカメラの時代だったらどうしていたのでしょう。デジカメではあるものの、毎回充電器を持ってこないから枚数よりも電池との戦いになります。ましてやいつも無駄に枚数を重ねてしまうので、ひとつの場所で3枚までと決めたりするんだけど、このグトルフォスと呼ばれる滝は、何枚撮っても撮り足りませんでした。
 「では、次の出発は14時ですので、それまでに戻ってきてください」
 途中、道の駅みたいなところで昼休憩になりました。いろいろメニューが並んでいるものの、なかなかリスクを背負って見知らぬメニューをオーダーできません。でもこういうときは決めていることがあります。海外旅行経験でわかったことのひとつは、「迷ったらフライドポテトにしろ」です。これに関しては、世界的にはずれがありません。フライドポテトばかり食べていては太ってしまいますが、いきなり現地の料理をチャレンジして悲しい気持ちになるよりは、まずは手始めにフライドポテトで口ならしをするのがいいでしょう。また海外の場合「フレンチフライ」と言ったほうが通じます。それにならって僕は、一人でフライドポテトを黙々と食べていました。ただ、ここは単なる休憩のためだけのポイントではありません。ここは、地球が生きていることを確認できる、重要な場所だったのです。
 アイスランド版道の駅の向かい側に広がる裾野には、いたるところから煙があがり、温泉地のような硫黄のにおいが漂っています。この中に、今回の目的を果たすためには絶対に見なくてはならないものがありました。それは、ゲイシールと呼ばれる間欠泉です。間欠泉とは、一定の時間を隔てて周期的に熱湯や水蒸気を噴出する温泉なのですが、ゲイシールはかつて70メートルもの高さまで噴き上げていました。しかし、数年前に現役を引退していまはひっそりと穏やかな生活を送っています。そのかわり、現在はその横のストロックルという間欠泉が頑張って数分おきに30メートルほどの豪快な噴出をおこなっているのです。そのストロックルに向かおうとしているとき、遠くでまさに温泉が吹き上がるのが見えました。
 「あ、あがってる!!」
 遠くではあるものの、その勢いと高さに圧倒されます。いわゆる噴水のように整然としておらず、まるで下から爆発したかのような勢いです。噴出のあとの大量の霧がなにごともなかったかのように風に流されてきます。
 「みんな待ってるんだ」
 ストロックルの前に来ると、ほかの観光客がみな、カメラを構えて彼を囲んでいます。直径3メートルくらいの中央にある噴出口が、沸騰したお湯のようにボコボコと泡をたてていました。
 「そろそろか...」
 なんとなく、その場に緊張した空気が流れました。噴出口が大きく膨張したかと思うと、反動を付けるように大きくへこみ、ものすごい勢いで温泉が噴出されました。
 「あがった!!」
 それは、まさに呼吸でした。人間が呼吸するように、地面から温泉が噴き上がる様子は、地球が呼吸しているようでした。
 「だめだ、よくわからない...」
 その都度動きは微妙に違うのでタイミングよく撮影するのがなかなか難しいです。さらに毎回ホームランというわけではなく、サイズがまちまちで、運がよければホームランを3連続で見られるのですが、小ぶりのものが続くこともあるのです。なかなか目の前で大きいのがこないので僕はストロックルを離れ、温泉が湧き出ている別の場所を回っていました。普段温泉にはいっているのだからそんなに珍しくはないものの、地表からボコボコ湧き出ている光景はとても新鮮で、ついつい周囲に流れ出た液体を触ってしまいます。
 「あ!!」
 そんな、離れているときに限って、遠くでストロックル選手が大きく噴き上げたりします。ホームランを2連続で打ったりするのです。僕が少し離れると、歓声が聞こえ、あわてて振り返ると巨大なサイズなのです。結局、その場ではLサイズを見ることができたものの、写真でのお持ち帰りはMサイズしかできませんでした。
 「たしかに、地球は生きている...」
 ガイドのおばちゃんの話を聞き流し、Mサイズの写真を確認していると、バスはさらに山の中、舗装されていない道にはいっていきました。
 「distance?」
 彼女の言葉からその英単語だけが僕の網にひっかかりました。
 「もしかすると次は...」
 その言葉で、バスがどこに向かっているのかわかりました。
 
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