目が覚めるとカーテンの隙間から光が差し込んでいます。日本との時差は9時間なのでポルトガルの朝7時は日本の夕方4時。いつもなら時差ボケと興奮で夜中の3時くらいに目を覚ますのにいろいろな疲れからかちょうどいい時間の起床となりました。
旅行中は欠かさないホテルの朝食は案外期待に応えてくれて、ハムとかベーコンとかソーセージとかいわゆるアメリカンブレックファーストな朝は僕の気分を穏やかにしてくれました。意外だったのは大抵このタイミングで日本人が数組登場したりするのだけどまったく見かけなかったこと。この国があまり日本では注目されていないからかもしれません。ちなみに日本からの直行便はなく、ヨーロッパのどこかで乗り継ぐことになります。僕はドイツのミュンヘンでしたが。また、仕事で世界中を飛び回っていた父は過去にこの街を訪れたことがあるそうで、僕はそのDNAに動かされているのかもしれません。
そもそもポルトガルというとどんなイメージでしょうか。鉄砲伝来とかヴァスコ・ダ・ガマだとか歴史の教科書にもその名は登場しましたが、場所すらわからない人も少なくないでしょう。ヨーロッパ大陸の南西端イベリア半島のスペインの西。ミュンヘンを基点としたら右からドイツ・フランス・スペイン・ポルトガルという風に並んでいるわけです。国土はとても小さく日本の四分の一、人口は10分の一程度。たしかにエッフェル塔やヴェルサイユ宮殿のようなわかりやすい観光名所もないため、日本でそのことを口にしたりポルトガル行ってきたよという人には滅多に出会いません。そもそも観光名所を基準に旅をしないのでそれは別にかまわないのですが、今回この国を選んだ理由のひとつに、意外な発見があったのです。
「え、こんなに?」
数年前のこと、例によってお正月を海外で過ごそうといろいろな国のガイドブックを見ていると、他の国に比べそれほど分厚くないポルトガルのガイドブックの最初のほうにある折れ線グラフが東京のそれや他のヨーロッパ諸国のそれよりも高い位置にあったのです。ヨーロッパの冬はどこも寒いという印象が強かったのだけど、ポルトガルに関してはとても温暖で一年中穏やかな気候なのです。日本にとっての沖縄のようなものでしょうか。だからなんとなく目星をつけていたのです。でもそれだけではわざわざ休みをとって行く決め手にはなりません。温暖な気候ともうひとつの要素、それはまた旅の途中にでも話しましょうか。いずれにしてもどうしても行きたいという場所ではなく、もし行くならここかなくらいだったので行く直前まであまり気が進まずアイスランドのように足取りも軽くありませんでした。そんな感じで訪れるとやはり視点もネガティヴになってしまいます。なんか違うなぁと。そんな僕の心境に変化が訪れたのは、ホテルをチェックアウトする時でした。
アイスランドで味を占めた僕は海外で車を運転することが当たり前になり、レンタカーを事前に予約していました。営業所の場所がまったくわからなかったものの、ホテルの人に訊けばいいかと高を括っていたのです。
「ん?レンタカー?」
しかし、フロントのメガネを浅くかけたおじさんはどうやらピンとこないらしくなにやらぶつぶつ言って奥へ行ってしまいました。面倒くさいことを訊いてしまったと申し訳ない気持ちでいると彼が戻ってきました。
「住所がこれだから場所はおそらくこの通りの・・・」
パソコンでプリントアウトしたレンタカー会社の資料と営業所までの地図、大事なところには蛍光ペンでマークがされています。電車で行く場合、タクシーで行く場合、歩くと結構あることなど、丁寧に説明してくれました。この程度のことは日本のホテルでも珍しくないかもしれません。でもなんか違うのです。「うちのホテルはサービスが行き届いているでしょ?」じゃなくたまたま遭遇した街のおじさんに教えてもらうような印象。サービスという感じではないのです。
「オブリガード」
はじめてポルトガル語を実践した瞬間です。そういえば日本語の「ありがとう」と少し似ています。ちなみに「どうもありがとう」と言いたいときは「ムイトオブリガード」。今回の旅でどれだけこの言葉を発することになるか、このときの僕はまだ知らずにいますが。
「親切な人だったなぁ」
ホテルの外観がいつものデジカメに収められるとオレンジ色のスーツケースが石畳の上をガタガタと音を鳴らしていきます。時間には余裕があったので散策がてら歩いて向かうことにした僕の目の前でいきなり車がとまりました。タクシーではなく普通のクルマです。一瞬運転手と目が合ったもののわけがわからず視線を逸らすと車は僕の前を通過していきました。
「もしかして、いまの…」
歩道にいる僕を見かけて彼は横断させようと車を停めたのでしょう。車の通過を待ってから渡るのがあたりまえだった僕にとってわざわざスピードを緩めて横断させる運転はとても新鮮に映りました。ポルトガルの人はもしかするといつも人のことを考えているのでしょうか。自分のことでいっぱいではなく、人のことを気にする余裕があるようです。
「こっちでいいのかな」
不安な顔をした日本人がリスボンの街を彷徨っていました。いくら住所と地図があっても、やはりはじめての地では距離感がつかめず思うようにいきません。僕は覚えたてのボルトガル語「ボンディア」と「オブリガード」を武器にいろんな人に道を尋ねました。まだ都会なので英語が通じる確率も高く、挨拶だけポルトガル語であとは英語に切り替わってなんだか3ヶ国語を操っているかのような錯覚にもなります。なにを言っているかわからないのにわかったフリをしたり、数十メートルおきに声をかけたり。見覚えのある場所がないから実際にその場所にたどり着くまで安心できません。たかがレンタカーに着くまでにどれくらいの人にお世話になったことでしょう。でも、どの人も面倒くさがることはなく親身になって教えてくれます。やはり心に余裕があるのでしょうか。人の親切に触れられることが嬉しくて道を尋ねることが楽しくなってきます。世界は旅人にやさしい、旅をすると人のやさしさに触れることができる。海外にいくといつもそう感じます。困っている人がいたら助けてあげる、こんな当たり前な人間関係も日本では希薄になっているかもしれません。ホテルを出てから45分。レンタカーにたどり着いた青年は、ポルトガルという国、そしてポルトガルの人たちを好きになりはじめていました。
「じゃぁゆっくり話しますね」
カウンターの女性は僕のためにゆっくりと英語を話してくれます。ちなみにポルトガルではあまり日本車はなく、またなにも言わないとマニュアル車になってしまいます。異国の地で慣れないマニュアルよりは値段に差がでますがオートマを選びました。そして、日本ではあまり見かけない車に乗った僕は、やや緊張した面持ちでリスボンの街へと繰り出します。
路面電車やケーブルカー、坂道や港、石畳、そこにはイメージどおりの光景がありました。でも、そんなリスボンの街に僕はまったく興味を抱きません、というと語弊があるかもしれないし結構写真も撮りましたが、僕が行きたいのはこの観光客であふれるリスボンの街ではなかったのです。車はハイウェイに吸い込まれていきました。